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10月の終わりになって、意識の変化が訪れた。
「必要でなくなった価値観を手放していこう」。そう思った。
カレッジの課題の関係で必要に迫られた、というのも理由かもしれない。
これまで、このブログで書いてきた探求生活のこと、探求の場であるカレッジのこと、探求者としての私を、
探求前から私を知る人にも知ってもらおう、という気持ちになった。
いずれ、両親や家族にも見てもらおうと思う。
これは、新たなステップに進むにあたって、恐れを乗り越え、不要なものを手放すための、私自身のコミットでもある。

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スピリチュアルライフ宣言


誰もが経験する人生の“へこみ”みたいなものがきっかけで、
ひょんなことから、スピリチュアルという概念に出会うことになった。
06年の春頃のことだったと思う。

スピリチュアルというと「江原啓之さん」を思い起こす人が多いだろうが、
彼がマスメディアを通して語る世界が、スピリチュアルのほんのごく一部、三次元と四次元の間での話、人間関係に喩えれば、自分と家族やごく親しい友人程度の間柄に限られるとするならば、
私が触れた「LOVE SPIRITUAL PEACE(ラブスピース)」という団体(といっても、まだ当時は始まったばかりで、10名足らずの小さなグループだった)が扱うのは、
スピリチュアルのすべて、三次元から七次元、そらにその上、宇宙の法則すべて、人間関係に喩えるならば、自分と全地球人、果ては他の惑星・他の次元に居る人類すべてとの関係性にまで及ぶ、というとてつもなく壮大な範囲であった。
「そのすべてが“自分”の在り方次第」で、
「すべては“自分を愛すること”とつながっている」。
この概念が、私にはとても鮮烈だった。
「自分を愛することと、自分の幸せ、他人の幸せ、果ては世界平和までが関わりがあるなんて、どういうこと?」
「そもそも、自分を愛するとは?」

それまでも、満足をして生きてきたつもりだった。
自分の望む仕事をし、社会的にも認められ、自分にとって充分な収入もあり、
家族は平穏無事で、友人との関係も良好。
まあ、欲をいえば、そろそろ結婚をしたいなぁ、と思っていたけれど、
「こんなに仕事が忙しくて、残った時間を自分の趣味(近年は沖縄に没頭)や習い事に全部費やしてたんじゃ、だめかなぁ」と思いつつ、「ま、いっか。なるようになるさ」。
そう思って生きてきた。
「自分の人生は自分次第」「何事も自己責任」と思ってきたが、
「自分を愛する」という概念はなかった。
「自分を愛する」ということは、単純に「自分の好きなようにする」ということではない。

スピリチュアルな概念では、自分つまり人間は、三つの要素から成っている。

人間=神我(しんが=霊=魂=スピリット)+自我(顕在の意識)+肉体

人間はこの三つで一つだという認識のもと、この三つすべてを愛する=大事にする、ということが「自分を愛する」ということだ。
自我はふつう、自分たちが認識している自分自身のことだから、わかりやすい。
肉体もそのまま。わかりやすい。
問題は「神我(魂=スピリット)」と呼ばれる要素。
スピリチュアルな概念では、これこそが人間の本質的な部分である、と考える。
神我は目に見えないし、ふつうの思考の中では、きっちりと認識することは難しい。
しかし、普段の生活の中でも、「なぜ、こんなことをしたか、思ったかわからない」とか、「自分の中の魂がそれを望んでいる」「第六感」などと表現される部分、また、潜在意識と呼ばれる部分とも、神我は深く関わっている。しかし、イコールではない。

視点を変えてみる。人間の肉体を小さく小さく分解していくと何になるか?
組織から細胞へ、分子から電子へ。
そう。つまるところ、人間の肉体は電子の粒=エネルギーがひとつの法則に従って固体を形成していると考えられる。
それをつなぎとめるものは何か? 周波数である。
電波や光を創造してほしい。電波は目に見えないけれど、ある規則=周波数に沿って、確かに存在し、それぞれ、特有の個性をもち、機能する。
光も然り。可視光線もあれば、不可視光線もある。
人間の話に戻ると、肉体は見える。では、自我は見えるか? 見えない。神我も同じ。
でも、存在し、それぞれ、特有の個性をもち、機能しているのだ。

神我はエネルギーであり、自我というエネルギーを包括する。その二つエネルギーが肉体をまとって人間は形成されている。
神我は不滅で、ひとつの肉体が滅びても(いわゆる「死」を迎えても)、また時期をおいて、多くの場合、この3次元に肉体を持って生まれてくることを自らの意思で選択し、そのように行動する。
もちろん、自我が記憶した経験は、肉体を離れても、そのまま神我に包括され、蓄積される。
ところが、面白いことに、次に肉体を持って生まれる際に、その記憶は一旦「忘れるような」システムになっているのだ。
だから、我々は自我として、過去の生の記憶がない。
まれに、過去生の記憶が蘇ることや、何らかの方法で(多くは、神我やそれに近い存在へのアクセスで)をれを一部的に取り戻すことがあるが、ほとんどの場合は記憶のないまま、「新たな人生」として、一生を生きる。

なんで、そんなまどろっこしいシステムを作ったか?
過去の経験と記憶があれば、同じ失敗を繰り返したりしないのに。
こんな苦しい人生を選択しなかったのに。
もっと楽しく幸せに生きられるのに。
もっともだ。

でも、そのシステムを作ったのが、我々の創造主(宗教では「神」と呼ばれることが多いし、「ソース」や「根源」と呼ぶこともあるし、ともかくそういう存在)であったとしたらどうだろう。
創造主は、「人間」を含めた、宇宙のあらゆるものの産みの親である。
そして、それらを作った目的が「あらゆる経験をする」ためであったら。
そもそも、はじめ、創造主は世界のすべてであり、唯一の存在だった。
他者はない。だから、他者を通しての経験も認識もできない。
そこで創造主は「自分以外のもの」を自分から創造した。
自分から創ったのであるから、それはいわば、自分の一部、分身である。
(人間の本質である魂=スピリットを「神我」と呼ぶのも、神=創造主の一部だから)
創造主は、その存在を通じて、「自分以外のもの」を経験し、その存在が感じ、体験することを通して「他者の経験・記憶」を経験することができるようになった。
人間はその最たるもの、と考える。
つまり、我々は、創造主の一部(分身)で、その意思を継いだ、というか、その意思そのもの、なのである。
「あらゆる経験をする」ことが目的であるからして、創造主は、あらゆる人生を人間が生きることを通じて経験したいと願う。
王様の人生、物乞いの人生、男、女、生まれてくる途中に亡くなる人生、100歳まで生きる人生、人を殺める体験、殺められる体験…。
「ある体験をすること」を意図して、どんな環境にどんな存在として生まれるかを選択するのは神我だ。
そして、生まれた後に、実際にどんな体験をするかを選択するのは自我に拠る所が大きい。
その選択の自由は、神我の影響を受けながらも、自我に委ねられている。
「体験に“良い”も“悪い”もない。体験は体験であり、それを価値付けするのは人間だ」と創造主は言う。
人間は、体験をするために、記憶をなくして、新たな人生を何度も何度も生きるのだ。
記憶があると、フレッシュな体験ができないから。
しかし、その経験にも、段階がある。
創造主は、経験を重ねながら、人間の意識が高まっていくように設計した。高まっていく、というのは、創造主に近づいていく、つまり、元に戻っていく、ということだ。
その中には、この肉体を期限つきで持って3次元で生きる、という段階(これが、私たちが生きている輪廻の概念)があり、
さらには、肉体を維持したまま、何百年も生き続けるいう段階(ここでは、その記憶と経験が継続し続ける。3次元でもありえる)があり、
肉体を持たず、神我という状態で在る段階があり、
と、ほとんどきりがないほど続いていくことになる。

と、以上は本当にざっくりとした説明。
まだ勉強中で、すべてをうまく説明しきれないが、シンプルでいて、かなり複雑だ。
それに、あまりにも独創的で新鮮な考え方で、簡単には受け入れられない。
スピリチュアルな概念では、これが「宇宙の法則」であり、我々が生きる目的でもあると考える。
つまり、我々は、あらゆる体験を重ねながら、「自分とは何者か?」を思い出すために生きている、というわけだ。

これは、私にとって、まさに「目から鱗」の考え方だった。
「じゃあ、私には自由意志はないのか!?」と憤慨したりもした。
いろいろと抵抗し(いまも抵抗をしているけれど)、あらゆる否定をしてみたが、
それよりも、その「宇宙の法則」を知ることの方が楽しい、といま思っている。
だから、それを知りたい=本当の自分を思い出したい、そういう生き方をしたい、
という思いに至った。

詳しくは、「神との対話1~3」という本に在るので、ぜひどうぞ。
これは、スピリチュアルに興味があろうとなかろうと、本当に面白く読める本だと思う。
私がざっと書いたことが詳しく書かれてある。
「神との対話を望んだある男性」の質問に、創造主自らが筆談で答える、という形で、
「宇宙の法則」が、ありとあらゆることに及ぶまで(それこそ、お金のことからセックス、国際平和、時間の概念、宇宙の物理学に至るまで、あらゆることが!)仔細に記されている。
「そんなアホな!」と思わず突っ込みたくなる内容に、実際、筆者が同じようにつっこみを入れてくれて、かなり痛快。おすすめです。



私が生きようとするスピリチュアルな世界。
いま少しずつ、それを学んでいる途中で、説明は仕切れない。
どれほど知っても、体験を通じてのみ実感できることなのかもしれない。
でも、少しでも自分が感じ、体験していることを知ってもらえればと思った。

そこには、新しい、それこそ、目が点になるような新たな概念が山盛りで、
その一つひとつを知り、体験を通じてそれを実感し、新たな自分になっていくのが、
いま、本当に楽しい。
それは、非日常の中にあるのではなく、同じ日常を、昨日とはまるで違う自分が体験しているようなもので、
瞬間瞬間が新しく、創造に満ちている。
何も変わっていないようでいて、すべては意識ひとつで激変する。
これは、自分を含め、あらゆるものの本質がエネルギーであることを実感させてくれる。

「エネルギーに良い、悪いはない。あなた方がどう感じるかだけだ」。

本の中で、創造主はそう語る。
生き方に良い、悪いもない。周囲が、私がどう感じるかだけ。
そして、まずは自分から。
私の魂が「心地よい」と感じることを実践しようと思う。
それを、ここで表現し、いろんな人に知ってもらいたいと思う。

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私が初めてdozenとラブスピに触れた時のこと。。。
こちらの日記もどうぞ。
「初めて自己探求ってものに出会った頃のこと」
http://urappy.blog94.fc2.com/blog-entry-38.html

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dozen (ダズン=霊的パートナーシップを組む男女二人組み)
ブログ⇒http://dozen.seesaa.net/

ラブスピースとは
http://lovespeace-kyoto.seesaa.net/article/48505023.html

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2007.10.29 Mon l 日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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