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ラブスピース@京都・桂の探究者Pです。
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今日、初めて自分の弟に会いました。

会ったといっても、自分のヴィジョンの中でです。


自分の下に二人の兄弟姉妹(性別はわからない)がいたことを知ったのは今年に入ってからのこと。

自分自身には水子はいないけれど、自分にまつわる家族の水子を、自分の側面として供養ができるのだと探究で知ったとき、家族に問い合わせをしてみて、初めてわかったことでした。

そうか。
生まれていたら、自分はお姉ちゃんだったんだ。
末っ子として育ってきた自分としてはなんだか不思議な気持ち。

そのときから、供養をしたいと思い、やっと今日、末の弟の水子供養をはじめるためのイニシエーションを、内とそのパイプである蓮と共に共同創造することができました。


生まれて、姉弟として育っていたら、同じような年頃のおっちゃんになっていただろう弟は、
私のヴィジョンの中ではまだ3つか4つくらいで、浴衣に兵児帯をしめた姿をした坊主頭の男の子でした。

水子の霊というのは不思議です。
供養をする際に、ヴィジョンとなって現れる姿は千差万別で、赤ちゃんの子もいれば、幼子に育っていることもあるし、珍しい例では成人している場合さえあります。
一説には、霊界ではちゃんと水子の霊を育てるシステムがあり、そこで、本人のペースで育つのだそうです。

私の弟は3つか4つ。
名前は祐真(すけざね)とつけました。
これは性別もまだわかっていないときに、やはり降りてきたヴィジョンで、
すぐ下の妹が沙祐美(さゆみ)。その下の弟が祐真。
いったい、どっから出てきたんだというような、ちょっと変わった名前でしたが、うちの姉兄たちも、何の脈略もなく名前がついているので、とても納得がいきました。


その祐真くん。
どっかで見たことがあるなあと思うも、思い出せず。
もしかしたら、これまでもたびたび、自分の夢の中に会いにきてくれていたのかもしれません。
あるいは、誰かの幼いときの姿とオーバーラップしているのかもしれません。


私は、自分の側面としての弟のために、つまり、自分の一部のために、蝋燭に火を灯し、香を焚き、祈りました。


安息給え。

蓮を通じて高次から教えてもらった祈りの言葉をささげます。

安息給え。

それは自分の中のこの世に生まれてこれなかった部分を癒す祈りです。


安息給え。祐真。

ごめんね。寂しかったね。遅くなってごめんね。姉ちゃんきたからね。

ヴィジョンの中の弟は嬉しそうに笑い、子供が母親にするのと同じように私にまとわりついてきました。

寂しかったよなあ。
ごめんなあ、気づいてやれなくて。

弟への呼びかけは、自分の中の幼さへの呼びかけでもあります。
自分の中の寂しいインナーチャイルドへの呼びかけです。


自然と涙がこぼれます。
後悔の念というより、安堵の念。
よかった。会えてよかった。供養をはじめられてよかったという安堵です。


そう。今日は始まりの日。供養はこれからです。
これから、ずっと、自分の側面として、弟と向き合っていきます。


今日はそんな嬉しい1日でした。

霊的探究をしていてよかった。
こうして、交わらなかった魂と魂の交歓ができる喜びは、何にも代えがたいと、つくづく思います。


共同創造してくださった、内に、蓮に、龍に、仲間に感謝します。

ありがとうございます。





ラブスピースでは、供養を、自己探究のひとつの重要な要素として捉えています。
供養は誰かのためにやるというより、自分とその人(霊的存在)との関係性を癒すためのイニシエーションであり、探究です。

感謝を伝えたい父母や祖父母やご先祖に対して。
日々の暮らしぶりを共有したいパートナーや子供たちに対して。
この世で会うことが出来なかった水子に対して。
水子は自分の子供はもとより、自分の兄弟姉妹や、兄弟姉妹の子供(姪っ子甥っ子)に対しても。




ラブスピースHP:http://lsp-japan.org/top.html

mixi:http://mixi.jp/view_community.pl?id=6187174

◇探究者随時募集 http://lsp-japan.org/hp/tankyu_gaku.html


◇蓮のブログ http://ryu-and-ren.seesaa.net/



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2015.09.15 Tue l イニシエ l top ▲
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