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躾(しつけ)という言葉が昔から嫌いだった。

なにか無理やり押し付けられる、型にはめられる、自分らしさを摘み取られる・・・
なぜかそんなイメージを抱いていた。


今思うと、要するにわたしは「躾」について何も知らなかったのだなと思う。


内的な探究をはじめて、改めて自分は躾がなってないなと思う。 
どんなときも言い訳せず、ルールを順守する、 
気分に流されず、いつ、どんなときでもきっちりと気持ちのよい挨拶をする、 
同じく、どんなときでも、ごめんなさい、ありがとうの言葉が言える、 
「どんなときでも」というのがみそなんだと思う。 
自分の調子がいいときに、笑顔であいさつができたり、素直に謝罪や感謝ができるのは、まあ、社会生活をする大人なら当たり前。 
家族でごはんを頂くときには、手を合わせて「いただきます」と言う人も多いだろう。 
でも、指摘されたくないことを指摘されたとき、それがまた事実なんだけれど、すごく凹む内容だったとき、そんなときでも自分はごめんなさい、ありがとうと素直に言えるだろうか。 
一人で急いですまさなければいけない食事でも、手を合わせて感謝をし、いただきますと言って食事を始められるだろうか。 
かつての私はできてなかった。 
そして、そのことにさえ気づいていなかった。 
躾のなっていない人間は、無自覚ゆえ、それが継続できる。 
振り返ってみると、確かに、両親から躾らしい躾は受けなかったなと思う。 
出発点はそこだったと思うが、はてさて、自分は大人になってから何年経つのだ? 
20年を越えてしまった。(いいのやら悪いのやら。。) 
その間、自分で自分を躾してきたのかと振り返ると、穴があったら入りたいほど、してこなかった。 
人には親切に、 
目上の人には敬いをもつこと、 
挨拶は元気よく、気持ちよく、 
食事をいただくときは、生かされていることに感謝をして、 
素直に、ごめんなさい、ありがとうを言う、 
嘘をついてはいけません、 
人の迷惑を考える、 
欲しいだけむさぼってはダメ、我慢を覚える、 
所作は丁寧に、 
ほかいろいろいろいろ・・・。 
どんな時にもできている? 
自分への問いかけと内省、 
そして、実際に改善すること。 
自分への躾、簡単ではないなと思いながらチャレンジする今日この頃。



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2014.02.10 Mon l Pの探究 l top ▲
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