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おまんじゅう

tawara no nakami wa ?  photo by P

 

ダイエットと探究とに

こんな関係があったとは。

 


先ごろ、ふと気がついたことがある。

「ああ、レコダイが成功する原理ってこれだったんだ」と、急に理解に至った。

 

“レコダイ”---食べたものを記録するダイエット法「レコーディング・ダイエット」---が流行りだしたのが、約2年前のこと。

当時の私は、いまのように探究オンリーの暮らしではなく、一般社会の中で暮らしていて、

自らのダイエット体験を元に岡田斗司夫氏が書いた『いつまでもデブと思うなよ』が、飛ぶように売れ、

テレビでもたびたび取り上げられている様子を見知っていた。

また、実際に、知った人がこの方法でダイエットに成功をしているのを間近で見たりもしていた。

 

時を経て、今日この頃。

私はとても太っている。

まあ、人生の中で身体のサイズが“ふつう”であった次期の方が少ないので、

「何をいまさら」って感じなのだけど、今回はちょっと様子が違う。

 

「なんだろう、この浮輪のようなお肉は・・・」。

見慣れないお腹周りの状態に、不思議ささえ感じる。

それほど、かつてないレベルで第2チャクラの周りにお肉がついている。

 

人は無意識のうちに、「隠したい部分に贅肉をつける」。

これは、スピリチュアルの世界ではよく知られた法則。

ラブスピープルの手元本 『自分を愛して!』(リズ・ブルルボー著)には次のように書かれている。

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肥満症には主な原因がいくつかありますが、どの場合でも共通しているのは、その人が、幼い時に<侮辱>を受けて、恥の感覚を持ったことがある、ということです。そして、現在でもなお、恥ずかしい目にあわされるのではないか、あるいは誰かに恥ずかしい思いをさせるのではないか、と恐れているのです。侮辱されること(=卑下されること)と、恥ずかしい思いをすること(=身を隠したいと思うこと)を、しばしば結びつけます。体重を増やすというのは、相手の過大な要求から身を守ることなのです。(中略)

また異性から欲望の対象として見られたくないので太る、ということも頻繁に起ります。相手から性的に利用されることを恐れているのです。肥満症になる人の中には、人生において自分の立場を確保したいのに、なかなかそうすることができない人もいます。そこで、太ることによって、自分の立場を確保することができると思い込んだのです。

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つまり。私は第2チャクラを浮き輪のようなお肉で守りたい/隠したいと思っている。

なんでか?

いやなのである。

第2チャクラが持つ気が司る「セックス」「権力」「お金」という創造に関わるエネルギーに関する

エゴ(歪み)を手放し、本来ある神聖な(健全な)状態をよみがえらせる(取り戻す)ということが。

 

なぜいやなのか?

なぜなら、長年培ってきた自分のアイデンティティが、そのエゴ(歪み)の上に成立しているゆえ、

それらを改善することは、足元を根底からひっくり返されるような、自分の居場所を奪われるような、

そんな錯覚を覚えるからなのである。

 

私は昔から、「男性並み」でありたかった。

男性並みに力(腕力も権力も)を持つ人で居たかった。

そういう自分でいることでしか、自分という「女性」を守れないと思っていた。

強くなければ自分という「女性」は世間から(男性から)蹂躙されると思い込んでいた。

それは、世代を超えて、今世に私が持ち込んだ私自身のカルマでもあった。

 

自分に「男性並み」を求めるということは、自分のパートナーとなる異性には、さらにその上をいく「男性並み以上」を求めた。

つまり、「並みの男性以上」の「権力」や「腕力」や「経済力」や「精力」を求めた。

もちろん、その条件をすべて満たす人なんていなかったし、いないことがわかっていて、それを求めていた節もあった。

要するに、(自分では意識していないけれど)男性との関わりは、ごく最低限でありたいと。

つきあっている人がいないときは、人並みに「ドキドキする恋がしたい」とか「恋人がほしい」と思っていたし、

男女のお付き合いも、セックスもしてきた。

でも、ふりかえってみれば、それほど、恋人をつくることには熱心ではなかったと思う。

たぶん、男性とパートナーシップを組むことの本当の価値を知らなかったのだと思う。

 

自分自身が「男性並み」であろうとした私は、本来の女性性というものをまるで理解していなかった。

女性というものは「男性から蹂躙される弱いもの」だというイメージを持っていた。

それゆえ、本物の(笑)男性とおつきあいをすると、私は「男性並み」である強い自分から一転、

「蹂躙をもよしとする弱い女性」へと自分のイメージを反転させた。

我儘にふるまうのはもちろん、デートのときに自分の財布を開くことなどはほとんどなかった。

それでいて、「自分はその代償として、身体を差し出している娼婦のようだ」といった被虐的な思いを、意識下で強く感じていたように思う。

いまになるまで、まったく無自覚だったけれど・・・。

そして、いま思うと「なんてまあ、極端な!」とあきれるけれど…。

 

そんなだったから、男性のパートナーをもっていることに、それほどの魅力を感じてなかったとしても不思議ではない。

たまにはセックスしたいし、デートも楽しみたいし、甘えたいときもあるし・・・。

その程度だったのかもしれない。

つまり、相手の男性をそのように扱っていたということは、自分の中の男性性をそのように軽んじてきたということ。

そして、自分の中の女性性を「蹂躙されても仕方のない弱いもの」として侮蔑してきたということ。

男女がお互いを「必要」とし、「尊敬しあう」関係性を築きあうものだとは、つゆも思っていなかったのだと思う。

 

そういう長年の勘違いやしみついたエゴ(歪み)を、どうやら、元の神聖な(健全な)状態に戻す時期がきたようだ。

 

そして、私は、それがとても、いやらしい(笑)。

 

結論はもうわかっている。

そのエゴを手放し、本来あるがままの自然な(神聖な)状態を取り戻したいと思っている。

そして、この先に進もうとするならば、そうなるしかない。

ただ、その変化が恐い。

恐くて、抵抗しているのだ。

できたら、人目を避けて隠しておきたい。

たぶん、私はまだこう思っている。

「自分の女性性は弱いので、男性から蹂躙されないように隠しておかなきゃ」。

「蓄えがなくなったらどうしよう。なるべくお金が減らないように、ちょっとずつ使わないと」。

 

自らの男性性を、女性性を、神聖さを、信じていない。

信用できないがゆえに、恐れる。

恐れるがゆえに守ろうとする、隠そうとする。

お肉の浮き輪が、恐れにかられた自分を守る唯一の武器なのだろう。

 

そういう自分をこうして客観視すると、ちょっと笑えてくる。

妙に聞こえるかもしれないが、「私って、探究してるよなー」と感心する。

 

 

話が軌道を大幅にそれて、もう帰ってこれないんじゃないかなと自分でも心配したけれど、やっと元に戻れそうな気配がしてきた。

 

で、レコダイの話である。(ちょっと強引か!?)

 

「記録するということは、自分を客観視すること」。

「自分を客観視するということは、自分の“いま”を認め、受け入れるということ」。

「認め、受け入れるということは、変化を促すこと」。

「内的(意識の)変化が促され起こるということは、具現(肉体)の変化を伴うということ」。

肉体の変化、つまり、体重の増減に繋がりやすいということ。

 

自分が本来あるべきナチュラルな姿にないということは、

なにかが異常な状態にある。つまり、「どこかがおかしい」=「不自然」。

それがどこなのかを知るだけでも、人の意識は変わる。

だいたいにおいて、太っている人は、自分がどれほどたくさん食べているかを知ろうとしない。

つまり、「まあ、これなら太るわな」という事実を直視しようとしない。

それがゆえに、事実を直視しようと「変化」しただけでも、すでに、内的(意識の)変化が始まる。

内的な変化はエナジーの変化。それゆえ、続けていけば必ず、具現(肉体)にも変化がおきる。

意志を健全に(あるべき状態に)取り戻していけば、それに肉体も伴う。

やせすぎている人は肉がつき、太りすぎている人は肉が減る。

その「引き寄せの法則」を活用するのが、「レコーディング・ダイエット」なのだ。

 

具現(肉体)からのアプローチではなく、内(意識)からのアプローチであるがゆえに、

いちど成功すると、リバウンドが少ないというのもうなづける。

内の変化⇒具現の変化という順番は、法則として理にかなっている。

内の変化が、実際に減らしたカロリー分以上に、肉体に変化を引き寄せるはず。

 

もちろん、記録しても、自らを省みることがなければ(内の変化を起こさなければ)、体重が減ることもないだろうけど。

 

それでも、私は思う。

「記録すること」。

その行動そのものが、「変化をしたい」と願う自分のためにできる第一歩だと。

 

だから、私も記録しようと思う。

ブログでの探究日記更新も然り。

 

恐れゆえにつけてきた贅肉を、直視すること=記録することで、そいでいく。

ちょっとずつ、ちょっとずつ。

 

レコダイにつて書くのに、岡田氏が出演しているテレビのインタビューを見た。

司会者「レコダイを成功させる秘訣はなんですか?」

岡田「完璧を求めないことですよ」。

「ダイエットする人って、食事制限をずっと続けてきて、どっかでたがが外れると、そこで、もう駄目だ!とか、思って、やめてしまう人が多いんですが、

僕は、思わずドカ食いしてしまった日があったとしても、その事実は、“忘れてしまう”という方法で、くぐりぬけてきました。

プロのスポーツ選手が、試合でしてしまったミスについては“忘れてしまう”“なかったことにする”のと似てます。

失敗やミスがささやく“だから、おまえはもう駄目だ”という言葉には耳を貸さない。

なにもなかった風にして、いままでどおりに続けるんです。

完璧でなくてもいい。続けること。これが一番の秘訣です」。

 

セリフは正確ではないけれど、そんな意味のことを彼は語っていた。

 

まさにね。

継続こそがその秘訣。

探究と同じだと思った。

 

エゴは苦しい時、失敗をしたときに、自我に向かってささやく。

「おまえはダメだ」「無駄な努力だ」「やめてしまえば楽になる」。

 

司会者「そういうささやきが聞こえて、その願望にとりつかれた時はどうするんですか?」

岡田「ひと晩ねたら、翌朝には忘れてます(笑)」。

 

これまた、まさに。

真剣になれども、深刻にならないこと。

これも探究の秘訣だったよなー。

 

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心のダイエット⇒Communication ship

クローバーLove Spiritual Peace―ラブスピース―とは
   
http://lovespeace-ashram.seesaa.net/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2009.08.08 Sat l 日記 l top ▲
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