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荒ぶる海

 umi uneru      photo by P

 

 

「傲慢」について考えている。

 

辞書的意味はこう。

   おごりたかぶって人を見くだすこと。また、そのさま。「―な態度」「―無礼」

 

 


傲慢とは、自分は自分を知らない、ということを知らない。

そういう状態じゃないだろうか。

 

 

仏教用語に「七慢」という言葉があるそうだ。

読んでみると、あいたたた。。。

これ、やってるよ。。。

七  慢(しちまん)
 「七慢」とは七つの慢心をいいます。
慢心とは、他をあなどる心、自ら驕り高ぶる心をいいます。
 「七慢」とは、慢・過慢(かまん)・慢過慢(まんかまん)・我慢(がまん)・増上慢(ぞうじょうまん)・卑慢(ひまん)・邪慢(じゃまん)をいい、『倶舎論(くしゃろん)』または『品類足論(ほんるいそくろん)』などに説かれています。
 一番目の「慢」は、自分より劣(おと)った者に対して「自分は優(すぐ)れている」と自負(じふ)し、同等(どうとう)の者に対しては「同等である」と心を高ぶらせることをいいます。
 二番目の「過慢」は、自分と同等である者に対して「自分の方が優れている」と思い高ぶり、自分より優れている者には「同等である」と侮(あなど)ることをいいます。
 三番目の「慢過慢」は、自分より優れている者に対して「自分の方が優れている」と自惚(うぬぼ)れて、他(た)を見下(みくだ)すことをいいます。
 四番目の「我慢」は、今では「耐(た)え忍(しの)ぶ」というような意味で使われていますが、仏法本来の意味は、自我に執着し、我尊しと自惚れ、それを恃(たの)むことをいいます。
 五番目の「増上慢」は、未(いま)だ悟(さと)りを得(え)ていないのに、「自分は悟った」と思うことをいいます。
 『法華経方便品』には、五千人の衆生が未だ悟りを得ていないのにも関わらず、釈尊の説法を聞く必要はないと増上慢を起こし、その座から立ち去ったことが説かれています。結局、増上慢となったこれらの衆生は、『法華経』の会座(えざ)において成仏することはできませんでした。
 六番目の「卑慢」は、自分よりはるかに優れている者に対して、「自分は少ししか劣っていない」と思うことをいいます。
 七番目の「邪慢」は、自分に徳がないのにも関わらず、あると思って、「自分は偉(えら)い」と誇(ほこ)ることをいいます。
 以上が「七慢」のおおよその意味ですが、慢心について『撰時抄』に、
 「慢(まん)煩悩(ぼんのう)は七慢・九慢・八慢あり」(平成新編御書八六九)
とあるように、仏教では「七慢」の他にも「八慢」「九慢」等と広く説き明かしています。







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2008.10.21 Tue l 日記 l top ▲
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