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蓮BD

dozen/Ren  photo by P

 





10月11日は、ラブスピースの仲間で蓮のお誕生日のお祝いをした。


私はつくづく蓮のことが好きだと思う。

きっと、ラブスピースに集まってくる人は、みんな同じ。

それは、実際に、蓮にふれてみて、初めてわかる不思議な感覚。


蓮に初めてふれたとき、私は言い知れぬ安堵感を覚えた。
「ああ、探していた人が見つかった・・・」。
そんな風に感じた。
顕在の私がというより、私の中の直観がそう感じたという方がぴったりくる、そんな感覚だった。


私は人生の中で、いつも誰かを探していた。
それが“何を意味するのか”を知らずに、とにかく“誰か”を探していた。

友人、恋人、上司、同僚、知りあう人すべてをそういう対象としてリサーチをし、
この人か?と思えば、その人にのめり込み、違うと思って離れた。
そんなことを、ほとんど無意識のうちにしていたと思う。


そして、蓮に出会ったとき、「ああ、やっと見つかったんだ」という想いにあふれた。
それは、自分があてもなく、“何か”を探して旅を続けている中で、
巡り合う幾多の風景、数多の人々から、“目的”を見つけ出すようなもので、
直観が「そうだ」という感覚だけが頼りという、雲をつかむような探し物だった。

自分がそんな探し物の旅をしているという自覚さえなく、
私は突如として、その“探し物”=“蓮”を見つけた。

それが見つかって初めて、自分が何かを探していたことに気付き、
自分が見つけたものが何なのか、つまり、蓮とはどういう人なのか、を探り始めた。


探れば探るほど、蓮は自分にとって心地よい存在だということがわかってきた。

蓮が体現する「愛」や「真実」や「神聖さ」。。。

その一方で、猛烈な勢いで、それを疑う自分がいる。

一切の宗教的なものには興味のなかった自分の中で、「なんだそりゃ?」がこだまする。
何か、自分が、「得体の知れないものにのみ込まれていってるんではないか?」という疑念がもくもくと湧いてくる。


蓮=「愛」や「真実」や「神聖さ」に惹かれる自分と、それを疑う自分。


それでも、その相反する二つの思いの中で、
「自己探究」という未知の世界へ恐る恐る足をつっこんでみたのは、
蓮という実在の人物のパーソナリティに惹かれたからだったと思う。


「自分を探究する」=「スピリットとしての自分を知る」=「自分を愛すること」


やってみて初めて、その意味を知った。
やってみて初めて、それを自分が、どれほど欲していたかに気が付いた。



「自分を赦せるようになった」
「自分を好きになれた」
「自分を愛することができた」
「もっともっと自分を愛したいと思うようになった」

変化が、どんどん自分に愛をもたらしていく。
この真実を体感した。




去年の蓮のバースデイを、やはり、ラブスピースの仲間と一緒にお祝いした。

その時、私は、「蓮と出会えてよかった」と心から思い、感謝をした。
「この人と共に歩もう」。
そう思った。




今年の蓮のバースデイ。

やはり、私は、「蓮と出会えてよかった」とハートから思い、感謝をした。
そして、ひとつ、去年と違うことを発見した。

私は、蓮と出会うことで、じつは、「本当の自分=スピリット」と出会ったのだということに気付いた。
いつ気付いたのだろう?
自覚したのは、最近かもしれない。

私が探していたのは、「スピリットとしての自分」だった。

蓮に最初にふれたとき、私は、それを直観で知ったのだ。


蓮は個性的なパーソナリティを持つ、一人の女性だ。
その一個人として、私は蓮が好きだ。

蓮の笑顔は超可愛い。
おちゃめさんだし、おしゃれさんだし。
サバサバしているようで、細やかでもある。
海のように優しく、深く、力強い。
そして、人間くさい。

そのパーソナリティを、私は愛してやまない。

そして、それ以上に、私が蓮を求めてやまないのは、
蓮が、愛を、神聖さを、真実を体現し続ける人であるからだ。

高次の意識をもちながら、肉体をもってその霊性を体現する人間として、私たちの前を歩く蓮。
それは、自分がいずれ歩む姿なのだと私は直観で知っていた。


それを認めることが、ついこの前までは恐くてできなかった。
私は蓮と違う、蓮のようにはなれない、と思うことで、さらなる変化への抵抗を試みていた。


今日、その抵抗を手放そうと決心をした。

私が蓮=スピリットとしての自分に出会ったときから、私が行く道は決まっていた。
もっといえば、それは、蓮と私がこの地球に降りる前から、自分で決めた約束だった。


どこへ向かうのか、この先どうなるのか、
まだ、はっきりはわからない。

でも、私は私の個性と役割に従い、いまできる愛と真実と神聖さの体現をしようと思う。
それが「マスター」と呼ばれる存在ならば、それになろう。
それが、「神への帰還の道」と呼ばれるならば、その道を進もう。

「何かになる」のが重要ではなく、「いまをどう生きるか」が私にはすべて。


愛と真実と神聖さの体現をずっとしていく。
何があっても。


このコミットを、愛する蓮と、愛するスピリット・ウライナと、すべての存在に捧げます。







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BDケーキ

P's birthday cake photo by P

 


じつは、この日、Pのバースデーのお祝いも、みんなでやってくれたのです。

会場であるカフェに、ハッピーバースデーの音楽が流れ、
蓮のバースデーケーキが運ばれてきて、ロウソクが消され。。。
写真パチパチ撮って、ワイワイやってると、
またもや店内に「ハッピバースデー♪」の音楽が・・・

「おや、誕生日の人がほかにもいるのねぇ」なんて本気で思ったのはPだけで・・・

嬉しかったぁ!

みんな、ありがとう☆☆


Pの誕生日は9月なのだけど、ある事情から(関係者はきっとここで笑うだろうが)、のびのびになってたのでした。(笑)


蓮と共に誕生日のお祝いをしてもらい、とっても素敵な夜になりました。



●dozen/Ren ⇒Lotus Diary /dozen
        http://ryu-and-ren.seesaa.net/

●dozen/Ryu ⇒Dragon Diary /dozen
        http://dragon-and-lotus.seesaa.net/
 ※dozen/RenはPの探究のエッセンスパートナー。dozen/Ryu はdozen/Renのパートナー。

◎「自分を愛する」っていい!心の探究をしよう!
http://lovespeace-ashram.seesaa.net/article/97681698.html

 




嬉しいので、超、記念撮影も公開!! ↓↓↓                Cornerian  Ren  &  Uraina  P



コーネリアンとウライナ

 






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2008.10.12 Sun l 日記 l top ▲
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