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でっかいレッスンを引き寄せた。

うつ状態の知人(男性)相手に、3時間もの会話。
そもそも、その人とのアポイントについて、自分の意識が低かったから、
「結界張らなきゃ!」と思ったのは、話をしだして、重苦しい空気を存分に受け取った後だった。

うつになった原因を自分以外に見る態度、自分の過去を許せないで苦しむ様子を聞いて、
まずは、自分のことを許すこと、愛することから始めようよ、という話をするが、
彼はまったくもって、受け入れようとしない。

「頭ではわかるけど、簡単じゃない」。
「それができたら、やってる」。
「相手が、相手のために、相手がわかってくれない…」。
「薬を飲んでも眠れない。昨日も一睡もしてない」。

だから、そうじゃなくて、もっと自分のことに注目しようよ。
運動したり、歩いたりって、不眠には効果的だよ。

「論理的に納得できないと、やる気になれない」。
「身体がつらくて、やれない」。

そして、また、話は最初に戻っていく…の繰り返し。

結界を張り、相手の気の影響を受けないように努めていたにも関わらず、途中で、第4チャクラがギュッと圧迫されるような感覚で反応していた。
その時は、その理由がわからなかった。

ようやくその3時間のレッスンが終わり、席をたった。
別れ際、彼はお礼も言わず、去っていった。
ちょっと唖然としたが、もはや、そんなことはどうでもよかった。
それよりも、私は一刻も早く、自分にエネルギーを流してヒーリングをしたいと思い、
近くの公園に行って、しばし瞑想をしながら、エネルギーを流した。

なんでこんなことが起こったか。
私は、何を望んで、このことを引き寄せたのか。

そして納得した。
全部レッスンじゃんか!

私は、その人を「癒そう」としていた。前回会った時、「力になれると思うから、いつでも連絡して」と言ったじゃないか。
そして、その望みどおり、その人は現れて、真っ暗な闇をぶつけてきた。
そして、私はその闇の中に光を投じようとした。
こうしたらいいよ。こうしなよ。
エッセンスを投じてるつもりで、「コントロール」しようとしていた。
第4チャクラの痛みの原因はこれだ。
自分の殻に閉じこもって何をも受け入れようとしない相手に苛立っていた。
なんとかして説得しようとしていた。
でもできなかった。だから、「すねた」。

何という思いあがりだったんだ!
自己探求をして、すっかりカウンセラー気取りだった。
「傲慢」。
これだ。自分の傲慢さを手放したくて、それに気づきたくて、引き寄せた。
そして、「頑固さ」。

3時間のその人との会話で印象に残ったのは、「頑固さ」というイメージ。
これは何だ? わかってる。
ここ最近、何度も私に投じられているエッセンスだ。
「頑固になってはいけないよ」というメッセージ。

頑固
(1)他人の意見を聞こうとせず、かたくなに自分の考えや態度などを守る・こと(さま)。
(2)病気などが、なかなか治らない・こと(さま)。

「聞けてないよ」というメッセージ。


「コントロール」
「インチャの傷(認められたい)」
「傲慢さ」
「頑固さ」
というメッセージを、男性性が携えて持ってきた。

男性性の機能不全を再生していく。
このことを、私がいかに心から望み、引き寄せているかがわかった。

さらに、その人が見せてくれた態度は、私が私を導いてくれる者(スピリットや、dozenや、カレッジの仲間や、高次たちすべて)に見せている態度だ、と思った。

「過去への執着」「未来への不安」=「変化への恐れ」
「軸のおき間違い」=「神聖さからの分離」
「頭で理解しようとする」=「ハートでの理解ができていない」
「感謝のなさ」=「自分・周囲への感謝のなさ」

私が味わったイライラは、私がみんなに味わわしているイライラだ。
でも、私を導いてくれる者たちは、誰も、イライラしたりはしない。
いつも、大きな愛を持って、私が気づくのを待ってくれている。
なんて、寛大なんだろう。
なんて、深い愛なんだろう。

その愛の一部になりたい、と思った。
愛に帰還したいと。

必要だから、望んでいたから、引き寄せたレッスン。
正直、くたくたになったけど、それだけの成果はあったよな。

私、男性性の機能不全と向き合うからね。
マイスピリットにコミットをした。

ありがとう。
すべての存在に。
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2007.06.30 Sat l 日記 l COM(0) TB(0) l top ▲
日常とスピリチャルな世界(カレッジ)との違いを考えいる。

はっきりと私の中にあった境界線が
日増しに溶けていっている。
混ざり合い、溶け合い、その境は淡いもやの中に霞んでいく。
陽炎のように、蜃気楼のように
時々にはっきりと見えるのに
それは、我に返ると、幻だったことがわかる。

たゆとい、淡々とゆらめきあう感覚。
それは自分の意識にも及んでいる。

わたしはスピリットでスピリットはわたし。
意識が、マーブル模様を描いていく。


2007.06.08 Fri l 日記 l COM(0) TB(0) l top ▲
うんと小さい頃、「将来やりたいことは?」と聞かれて、
「お花屋さん!」と答えた。
でもしばらくすると思った。
お花屋さんもいいけど、でもちょっと違うなぁ。

小学校にあがって、「将来の夢」を作文に書くことになった。
「私は将来、新聞記者か作家になります」と書いた。
でも、しばらくすると、思った。
新聞記者も、作家も、ちょっと違うなぁ。

高校生になって、「希望の進路」を聞かれた。
「新聞記者か、雑誌の編集者」と答えた。
でも、しばらくすると、思った。
最終ゴールとは違うような気がするなぁ。

就職活動をする時、志望の分野を決めた。
「マスコミ」と固く決心した。
でも、その時に感じていた。
これは、最終地点ではないなぁ、と。

編集者になり、仕事が面白くてしょうがない時、ふと考えた。
私は、何をしたいのだろう。
こんなに楽しいのに、こんなに充実しているのに、
「この仕事を天職とは思っていない」自分がいる。
私は何者で、最後に何をやりたい人なのだろう。

それから、
「あなたの夢は?」「どんな人になりたい?」という問いに、
「夢はありません」
「その時に本当にやりたいと思うことが、やれている自分になりたい」と答えるようになった。


10年後の自分は、
「お母さんになって一生懸命、子供を育てているかもしれない」
「まだ、バリバリこの仕事をしているかもしれない」
「陶工に弟子入りして、のぼり窯で焼物を焼いているかもしれない」
その時、やりたいと思うことをやっていたい。
若い私は、そんな風に思うようになっていた。


それから10年後。
私はいま、この瞬間に、本当にやりたいことをやれている自分で、いる。
いまを生きている、と言える私がいる。

この夢?目標?は、とてもいい。
叶った先から、次々に新しい夢や目標が生まれてくるので、
終わることがない。

終わりのない夢を、私は生きている。




2007.06.07 Thu l 日記 l COM(0) TB(0) l top ▲
イニシエって、本当にユニーク(唯一無二)!
一つとして、同じであった試しがない。
今回もまた、初めて尽くし。
こんなに楽しくて、無邪気なイニシエがあったなんて。
それもそのはず、このイニシエには、なんと、あの人が登場なのだ~。

※イニシエとは

6月3日(日曜日)に京都でムミヤ主催のスピカフェ&イニシエイベントが行われた。
この日の参加者はラブスピ京都カレッジのメンバーがムミヤ、もっち、てる、とむさん、沐隣、私。そしてスピカフェ初参加の紫乃ちゃん。そしてdozenの二人。

この日はスピカフェからして濃かった。
詳細はもっちブログを後日参照。
(もっち頼んだよ~)

16:30になり、イニシエタイムとなった。
イニシエを受けるのは4名。
部屋に入ると、センターのラグの上に蓮ちゃんを通してイニシエを行う高次が座る座椅子を含め、サークルを描くように、座布団が4つ置かれていた。
その中央にそれぞれが持ってきた花を置き、4人が円になって座り、瞑想を始める。
私はいつものように、センターを保つ作業をし、エネルギーを通し、
私の内なる大事な人たちとハグをする。
一人目は以前受けた「大切なイニシエ」で会わせてもらった、三世代前の私である少女、通称ララ、(通称は私が付けたニックネーム)
最初の頃13歳ぐらいの少女だったララは、時が経つにつれだんだん幼児化していっており、
現在は生後2カ月くらいのおくるみに包まれた赤ん坊の姿になっている。
二人目は、私のインチャである、通称・リンダ。
リンダもやはり徐々に姿を変えていっている。少女→幼児→木→と変遷を経て、現在はちょうちょのような羽の生えた妖精の姿。最近はいつもご機嫌にその辺をちょこちょこ飛んで、勝手に遊んでいてくれる。
私はその姿を見るととても安心し、幸せな気分になる。
そして、最後の一人はマイスピリットのウライナ。
ウライナはビジュアル化が難しく、まだこれといった姿が浮かばない。敢えて言えば、人型の白に近い透明のエネルギー体に近いかもしれない。
ともかく、3人とハグをして、共にこのイニシエを楽しむことをコミットする。
久しぶりだからか、いつにも増してとっても楽しみで、ワクワクする。

サークルの外に置かれた椅子では、蓮ちゃんの身体に本日のイニシエを執り行う高次が降りるべく、変容の真っ最中。
私は目を閉じていたが、「いつもより変容完了までの時間が長いなあ」と感じた。
そして、聞こえてくる声の感じが、「私の知っている高次とは違うかも」とも思った。
そう思うと勝手に目が開いた。蓮ちゃんの方を見ると、胸の辺りが突き上げられるように大きく反ったり戻ったりしている。
なぜか私は瞑想することも忘れ、その姿に釘付けになっていた。
ほどなく、完了をしたのか、蓮ちゃんが目を開けて椅子の背から身体を起こした。
龍さんが介助をして立ち上がろうとした瞬間、
「待って!」と高次が声を発した。
聖なる子どもだ! とすぐに思った。
聖なる子どもは、dozenのブログで読んだだけで、実際に会ったことはなかったが、
そこに書かれていて通り、とても無邪気で愛らしい物言いをする。
その瞬間、私の内がウワッと沸き立つのを感じた。ワクワクが倍増された感じ。
私はますます目が離せなくなって、じぃーっと、その姿を凝視している。
している、というのは、私の意志で、というより、私の内なる意志で、という感覚に近かった。
内側では、リンダがおおはしゃぎをしているのがわかる。
もう嬉しくて嬉しくしょうがないといった様子だ。
聖なる子どもはもう一度椅子にもたれて、変容の続きを始めた。
あとちょっとというタイミングで、聖なる子どもの目が開き、その目と私の目がばっちり合った。
「あっ! 見てるぅ~」と言って、聖なる子どもはにこ~っと笑った。
私の顔も自然とにこ~っと笑い、内なる声が「玉遊びしよ~」と呼びかけた。
その声に応えるかのように「後で遊ぼうね」と言って、聖なる子どもは再び目を閉じた。

なななな、なんだこれ~!?
私の顕在の意識が、ややついていけてないのをよそに、内なる声は大合唱を始めた。
「たっまあっそび、たっまあっそび、たっまあっそび~。 キャハハ~」
もう何がなんだかわからんが、玉遊びなんだ~、と思って、私もつられて無邪気な気持ちになっていく。

ほどなく、聖なる子どもは準備を終えて、私たちのサークルに加わった。
5人で輪になって手をつなぎ、イニシエが始まる。
聖なる子どもが私たちを優しい声で誘う。
「内なる神である自分を抱きしめてください。
愛し、愛されていることを思い出して。
すべてはひとつ。あなたは私であり、私はあなた。
このサークルの真ん中に光の柱を降ろします。」
(みたいなことだったと思う。詳細は多少違うかもしれません)

「今日は、玉遊びなんだ」。
そう思って、遊び方を考えた。
まず、内なる人たちと自分を光の玉にして一つにするイメージをした。
白く半透明の玉になって、空中に浮かぶ。ふわわ~ん。
次に白く半透明な光の柱に玉が近づいていくイメージ。
さらに、手を繋いでいるみんながドーナツ型で浮いているイメージ。
(みんなあぐらをかいてるその下は…何もないのよ。浮いてるのよ。ヨガの聖者みたいよ。)
もちろん、ドーナツの真ん中には光の柱が通っている。
柱は上にも下にも永遠に続いていて、その上でも下でもないところに私たちはいる。
そして、その柱の内側からは強いエネルギーが出ていて、みんなが全身でそれを受け取っている。とても心地がいい。
さらに、そのドーナツ全体を覆うような大きな光の玉の中に全員が入っているイメージ。
よし、これで準備OK。
いよいよ玉遊び。こっからが楽しい。
私たちは玉にのって、柱に沿って上にいったり下にいったり。
ちょうど、遊園地の乗り物みたいだ。
違うのは引力の影響を受けてないこと。まるで宇宙遊泳のように。
というか、UFOの動き(笑)。
あるいは、スローモーションのトランポリンで跳ねているような浮遊感。
衝撃はなく、ただただ楽しく、自由で、安心感があり、心地いい。
何度も何度も飽きずにそれを繰り返し、たっぷり遊んだ。

存分に遊んだ頃に、「終わりぃ。」という声が聞こえた。
まるでゲームが終わったような満足感。
すごろく(古い?)でみんな「上がり」の状態。
ゲームなら、「第一ステージ無事終了」みたいな(笑)。

だから、イニシエが終わったとき、自然と「ああ~楽しかった」という言葉が出てきた。
「楽しかったよねー」、「ねー」、「ねー」。
小さい頃、友達と遊び終えて、夕方帰る頃に、みんなで楽しかったよねー、の確認をしている気分。
内なる人たちとも相槌をうちあい、みんな大満足だったことを確認した。

最後に、全員が順々に聖なる子どもとハグをする。
感情が開放されて、泣いている人もいた。
私はただただ嬉しかった。
聖なる子どもにぎゅうっと抱きついて、嬉しい、楽しい、気持ちを伝えた。
ありがとう。会えてとても嬉しい。一緒に遊べて楽しかったよ。ありがとう。
聖なる子どもはハグをしながらエネルギーの調整をしてくれて、こう言葉をかけてくれた。「頑固はダメよぉ。あなたの素直さ、もっと思い出して。」

とっても嬉しかった。
日常と、このスピリチャルな生き方との溝を、いつ、どうやって埋めようか、
このところ、そんな心配や算段ばかりをしていた。
その気持ちに焦って、無理に予定表を書こうとしていた。
でも、そうじゃない。
もっと素直に、やりたいと思ったときにそれは自由にできるんだ、
そう思った。
内なるものが一つとなってそう思えるようになったら、具現は必ず引き寄せられる。
その時をいつに設定しようと、頭で考えるのはやめよう。
そのスピードを速めるのも緩めるのも内なる自分。
私は自由だ!

歓喜が身体の中に広がっていくようだった。
すごく楽しいのに、涙がこみ上げてきて、鼻がツンとなった。

ありがとう。
今日もまた、すべての存在に感謝します。
もう、一人ずつ書き並べる必要さえ感じない。
すべては一つ。
私はあなた、あなたは私。
神という存在。

聖なる子どもに会えたこと、本当に嬉しかった。
また会いたい。
また、遊ぼうね。
必ず。
2007.06.05 Tue l 未分類 l COM(4) TB(0) l top ▲
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