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2009.06.08 Mon l 未分類 l top ▲
3月に、私の愛する沖縄でラブスピースのスピリチュアル合宿があります。
引率者がいて、スケジュールが決まっていたこれまでの合宿とは違い、
今回は、その内容を自分で決めるところから学びが始まります。
いえ、もっと言えば、レムリアについて知り、感じることから学びは始まっています。
高次のガイダンスによって、この合宿が指示されたのは去年の3月。すでに1年近くが経とうとしています。
9月、11月と2回のタイミングが延期され、最終の3月に、私たちは沖縄へ行きます。
沖縄とレムリアにどんな関係があるのか。そして、自分とレムリアとの関わりは。
沖縄でどんな4日間を過ごすことが、自分にとって愛ある学びとなるのか。
私は、知りたい、考えたい。感じたい。そして、多くの人とその情報をシェアしたい。
公開プランニングノート。そんな感じのことをしたいと思いつきました。
計画帳ゆえ、とりとめのない感じになりますが、
読んでくださった方が、何か、感じること、気づいたことがあれば、コメントくだされば嬉しいです。
あ、にわか知識での記述ゆえ、その訂正などもいただければ助かります。^^
コメントは、ラブスピースメンバーとシェアさせていただきます。あらかじめご了解ください。

☆3月7日/12日に予定されていたスピカフェin那覇は、行き先が「与那国」に決定したことにより、中止となりました。(2/20)
*****************************************************************

沖縄とレムリアの関係について何か情報をお持ちの方、教えてくださいませ!


プランニングノート

昨日の夜、沖縄でどこに行きたいか、瞑想をしてみた。
浮かんできたのは、まず、「久高島(くだかじま)」。これ、意外。
前に行った時(3年前くらいかな?)は、夏の暑い盛りで、自転車を借りずに歩いて回ったので、もう、バテバテ。
それほど大きな島だとは思わなかったけれど、あちこち寄り道しながら、海岸に出て休みつつ、4時間近くはかかったと思う。
島中に何ヶ所もあるという「御嶽(うたき)」も、この島では観光客の目に付かないよう(というか、目に付く必要は元々ないわけで)、標識もなくひっそりしていて、ほとんどがわからなかった。
私の知る限りでは、この「神の島」は、その他の沖縄の島々とは違って、「観光」で生活を営む、という感覚がほぼ皆無。
静謐というか、暮らしと祈りの平穏に満ちている。
これほど、観光的なものが何もない沖縄県の島を、私は知らない。
島の周回道は、主要な部分がアスファルトや一部コンクリで舗装されており、背の高い砂糖キビやら林の緑に囲まれて、あんまり海も見えないし、もちろん、カフェも店舗もない(私が行った時は、島中で、売店と呼べるものが2箇所。船着場に食堂らしきものが1軒あるきりか、それに近い感じだったと記憶している)。
正直、暑いというより熱線のような強い日差しと、アスファルトから立ち上る熱気も手伝って、心地いい感じではなかった。
2箇所くらい、頼りない情報と、同行者の直感!で、行くことができた御嶽は、ほかに訪れる人もなく、ひっそりとしていて、
強い祈りのエネルギーを感じた。
沖縄では、御願(うがん)や拝み(うがみ)をするのは女性の役割。特に、おばあ(こっちでいう、経験豊富なおばあちゃん)の活躍頻度が高い。
元々、御嶽も男子禁制。女性が祖先や神様と交信し、祈りを捧げる場だったとか。いまでも入ることが許されない処もあると思う。
御嶽に行くと、その女性のイメージを感じる。おばあのイメージ。
その時は、自分がこんなスピ道をまっしぐらに突き進む人生を歩もうとは、微塵も感じていなかった。
ただ、沖縄とは、めちゃくちゃ波長が合い、そこにいるだけでほっとできて、エナジーが自然とチャージされる感覚があった。
最初に行ったのは仕事だったけど、何かに強く惹かれて、私は人生で最初の一人旅を、沖縄再訪で経験した。
それからは年に3~4回、一人で旅をしてきた。
2回目くらいで、主要な観光地を一通り見て回った後は、何をするでもない。
沖縄で出会った友人と会い、市場をうろつき、お茶を飲み、夜は島歌を聴き、島酒を飲む(場に行く。元々あまり飲まない人なので)。
気が向いたら、海や島へ行く。あと、御嶽や「古城(ぐすく)」。
最初は、スピな意識などなかった。そこへ行くと、心地よいので、そういう処を好んで訪れていたにすぎなったのだ。
だから、久高島にも行ったのだけど、それほど、素敵な思い出があるというわけではなかった。
なので、今回はここはパスかな~なんて思っていたら、いきなりのご登場!(笑)。ふふ。私とウライナ(私のスピリット)は、沖縄の聖なる島へ行きたいらしい。
そして、もちろん、「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」そして、大好きな「今帰仁城(なきじんぐすく)」、めっちゃパワーがすげー「首里城(しゅりぐすく/しゅりじょう)の御嶽」。あとは、お気に入りの「玉城(たまぐすく)」。
うーん。これ、私が行ったことがあるとこばかりだけど、顕在で考えているのかなあ。
どこか、新しいところへも行きたいのだけどなあ。
さらに、瞑想してみようっと。
続きはまた今度。


改めてスピな観点で調べてみると、面白い記述に出会えました。

*まず、沖縄人(うちなんちゅー)の信仰のベースを知る基本として
  「ニライカナイ」→http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/10038000.html
  「御嶽(うたき)」→http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/10008000.html
  「ノロ(女性の神人〔かみんちゅ〕)→http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/10040000.html
  「拝み(ウグゥワン)」→http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/10006000.html

*私の大好きな作家・池澤夏樹さんが沖縄に住んでおられた頃に書かれたもの。これが書かれた頃にはなかった「拝観料」が近年設定されたことには、沖縄を愛する者として、残念に思います。せめて御願にきた人は無料にしてあげてほしいな。
  「斎場御嶽(せーふぁーうたき)by池澤夏樹」→http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/30017000.html

*私も初めて知ったけど、久高島の土地って、分与制なんだ。これってスゴイな。。。
  「久高島」→http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/10060000.html

*久高島で12年に一度行われる女性だけの神事。いまは、途切れています。珍しい、その写真も載っていますね。
  「イザイホー→http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/40006000.html

*ちなみに、上記の出展元となった本「オキナワなんでも事典」は、沖縄のことについて、沖縄在住・沖縄好きの作家やライターがエッセイ形式で書いた、とても楽しい辞典。私、大好きです。何度読んでも飽きません。
  「オキナワなんでも事典」→http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B1%A0%E6%BE%A4-%E5%A4%8F%E6%A8%B9/dp/4101318190

*そして、このリンク先も興味深いです。
  「沖縄カルチャーアーカイブ/沖縄でしたいこと/祈る」→http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/index_doc010.html
*お花がきれい。そしてこの猫ちゃんたち。私もしばし和みました~♪ 今帰仁城は、観光用に整備された道の裏に、朽ちかけた道があり(私が行った時はあったんですが)、そこが私のいちばんのお気に入りスポット。風と友達になれるよ~。
  「今帰仁城跡(なきじんぐすくあと)」→http://gusuku365.seesaa.net/

*首里城のお城の部分は、張りぼてだけど(ごめんなさい)、この御嶽は、とにかくスゴイ(と思った)。
  「首里城(しゅりぐすく/しゅりじょう)の御嶽」→http://www.e-trip.info/okinawa/utaki.html

*斎場御嶽に行ったら、必ずペアで行きたい大好きな古城。いまにも岩がゴロゴロと落ちてきそうに危ないんだけど、なぜか、崩れない。この穴は、不思議な穴だなぁ~と思っていたけど、こんな意味があったのね。納得。
  「玉城 夏至際」→http://happy.ap.teacup.com/oda2356/77.html

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2008.02.11 Mon l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
私は、女性として神聖さを体現する


1月の奉仕・守護レッスンシェアに参加。シェアの前の奉仕リーディングから、いま必要なことを受け取った。
いま考えると、これに先立つ3日間のレッスン時に、すでに課題への布石は打たれていた。

3日間の守護レッスンを通して一番浮上したのは「聞く・受容する」ということ。
このことは、守護レッスンについての日記にまとめた⇒「聞く・受容する」の本質 ~守護レッスンから得たこと~http://urappy.blog94.fc2.com/blog-entry-83.html

この3日間のレッスンで、もうひとつ浮上した、私のいま取り組みたい課題は「女性として神聖さの体現をすることを自分に許可する」。
なんと、私は自分が女性というジェンダーであることを、卑下し、嫌悪感を持っているということが、わかった。と同時に、男性というジェンダーに対しても敵視しているのだ。
なんという自己矛盾! なんという悲しい事態! 女性であることも男性であることも拒否するならば、私はどこにも居場所がないことになる。
これは、スピリットが持っているクセとも関係があるのだと思う。
今抱えている問題の原因が前世の体験や記憶にあるのではない(と、本に書かれてあった)。
あくまでも、同じ学びを世代を超えて持ち越してきてるだけ。内の問題。
以前、「3世代前の私の姿」をReを通して見せてもらった。⇒過去日記「大切なイニシエ2 誓い」http://urappy.blog94.fc2.com/blog-entry-11.html
その時は、女性であることで、神聖さの体現ができない少女の葛藤の姿を見た。私は少女に誓った。私が今世で体現してみせると。
それなのに、やっと、女性として神聖さの体現をする入り口にたったいまも、私は自分が女性であることを認めていない。女性として神聖さを体現することを了承していないのだ。
私がへこんでいると、Reからアドバイスをもらった。
「あの時みた(3世代前の)女の子は、女性として、神聖さを体現したい。女性として神聖さの役割を果たしたい、活かしたいと思っていたんやと思う。Pがそれをしたらいいんとちゃう?」
そう。そのように私も誓った。その体現を阻んでいるのは自分の中の何なのか。
それが、この日にあった、奉仕&シンボルリーディングで明らかになっていた。


【具現】
皆より1時間送れて奉仕に参加。すでに皆、奉仕に勤しんでいる。何をしていいかわからず、誰かに聞こうかどうかウロウロしていたら、Ryから声がかかった。「机の上に置いた紙を左右どちらかの手で引いて、そこに書かれている仕事をして」とのこと。
左手で「ご飯を炊いてください。1.5合」を引く。引いた内容をReとRyに告げてそのまま台所に行こうとしたら、Ryから「どうやって炊くか訊かんでいいの?」と促され、Reに炊き方を訊く。「みんな知ってるから、誰かに訊いて」と言われ、台所へ。
台所にMuが居たので、ご飯の炊き方を訊き、米を研ぐまでの作業にかかる。
その際、シンクに汚れた食器があったので、反射的に洗おうとしたが、Muに確認したうえで、それは別の人の仕事であるゆえ、やらない方がいいよとの言葉に従う。
お米を計ろうと思い、軽量カップを見ると、160ccのカップだった。Muは「このカップに1杯半お米を入れて、1杯半の水を入れる」と教えてくれた。が、自分の頭の中にある「1合は180ccである」という認識、また「ご飯を炊くときはお米より少し大目の水を入れる」という認識と合致しないため、しばし逡巡する。「1.5合は、このカップでの1杯半でいいのか、実際の1.5合でいいのか…」。迷っているとRyがやってきて、「P、わかるか? カップに1杯半お米を入れて、1杯半の水を入れるねん」と、Muと同じやり方を教えてくれたので、これがここでのルールなのだろうと思い、その言葉に従う。
お米を研ぎ、鍋にセット。炊き方をSoに訊き、教えてもらう。その通りにして、作業終了。
Re、Ryの元に戻り、次の仕事の紙をひく。
右手「炊いたご飯をおにぎりにしてください」だったが、ご飯はさっき火にかけたところだったので、Reに確認して次の紙を引く。
右手「洗濯物を干してください」。ランドリールームに行き、すでに洗いあがった洗濯物を干す作業にとりかかる。
作業をしていると、Muが干す際の注意点を教えてくれたので、それに従い作業を進める。
作業を終えたSoから、「何か手伝おうか?」と声がかかったが、「大丈夫」と答えて続行。皆がリーディングを始めているのに、私は一人作業をしていた。隣室から、Ryが「こんなに人数がいるのに、Pはまだ作業をしているな」と(それに近いことを)言っているのを聞き、「声がかかった時に、申し出を受け入れたらよかったんだ」と思う。
作業の最後のほうで、ハンガーの具合なのか、同じTシャツが2回、ハンガーラックからずり落ちる。見ると、3尾の魚の絵が描かれた長袖Tシャツ。また、最後に、紫の靴下が1足だけ残った。
作業を終え、隣室に向かうとき、お風呂場と洗面所の電気がつけっぱなしであるな、消さなくていいのかなと気づいたが、スルー。行きがけに洗面所のドアが開けっ放しであるのが目に入ったが、気づいてないかのようにスルーした。
リーディングを始めると、Reから「お風呂と洗面所の電気がつけっぱなし。ドアが開いたまま。これもリーディングしてね」と言われ、自分がすべてをスルーしたことに気づく。

【エッセンス】
★は、リーディングシェアでdozenからアドバイスをもらった箇所
◎は、後日の落とし込みで追加した箇所
遅れ:自らに課した制限、恐れ。
ご飯を炊く:滋養物をとる準備
1.5合:1+5で6=導き(P案) ★2に至らない、0.5足りない学び。1=新たな始まり。2=男性性と女性性のバランスをとる必要性。
計り:人生のバランス
180:1+8+0で9=完成。過去のものが終わること。/◎古い(不要になった)概念、執着の象徴、自我領域のルール ★過去の終息
160:1+7+0で7=7つのチャクラ。市と再生の周期。/◎新たな概念の象徴、神我領域のルール
★20の差にこだわる:10×2⇒10:新規やり直し/この差にこだわるということは、“マイルールで突き進もうとしている”。
洗濯物を干す:★洗濯する時には必要であった水分を乾かす作業は、不用になったエナジーを飛ばし(手放し)、神聖さ、体現のサポートをする作業。体現する(衣服を身に着ける)際に、水があったら心地よくない。
魚:瞑想。精神の栄養。 ★3=三位一体 ★精神的・霊的食べ物
紫:知恵、知識、加護
★1足だけの紫の靴下:紫は霊性。足は土台を表すものなので、それが片方しかないということは、バランス、男女性のバランスをとりなさい。
風呂場・洗面所の電気がつけっぱなし:もはや必要でないところにエナジーを注いでいる
ドアが開けっ放し:チャンスがあるのに、見えない、気づかないふりをしている ★ドアが開けっ放しだと、暖房が効かず、心地よくない。ドアの開けっ放しを見てみぬふりをするということは、心地悪さに対して同じことをしているということ。

【リーディング】
自らが課した制限で、神我領域での神聖さの体現が遅れています。また、神我領域での体現について戸惑いがあります。内なる高次の自己の男性性は、あなたにいま必要なことを霊的必然に委ねなさい、と促してくれています。
いま必要なのは、女性性がより高い霊的学び、導きを受け入れる準備をすることです。
顕在のあなたは、その方法について知らないまま(無防備なまま)事にあたろうとしています。すると、内なる自己の男性性は、「内なる自己の女性性にやり方を尋ねなさい」と促してくれます。
内なる高次の自己の女性性は「サポート体制がすでにあるので、そのサポートを受けなさい」と言っています。
その言葉通り、あなたは自らの働きかけにより、体現の場で仲間のサポートを受けることができます。しかし、あなたは不要になった信念やマイルールに固執し、新しい概念や神我領域での法則に従うことに抵抗を感じています。また、無意識に境界線を逸脱しがちなことにも注意が必要です。そうならないためにも、仲間に訊くとよいでしょう。
内なる高次の自己の男性性も、神聖さの法則に従えばいいと促してくれています。その言葉に励まされ、あなたは神我領域での法則に従って、より高い霊的学び、導きを女性性が受け取る準備をすることを決意します。さらに体現にあたって、仲間のサポートを受け入れ、それを成し遂げます。
次に必要なことを霊的必然に委ねて訊くと、さきほど終えた、女性性がより高い学び、導きを受け入れるという準備を、男性性が実践に移し、さらに学び・導きが取り入れ易いようにする作業であることがわかりました。しかし、準備は始まったばかりで、男性性が動に移す状況にはありません。そのことを受け入れ、先にすべきことをしましょう。
内なる高次の自己の女性性の促しで、先にすべきことを霊的必然に委ねると、不要になったものを手放し、神聖さの体現のサポートの動を男性性がとることだとわかりました。
あなたはその体現にとりかかります。ここでもあなたは無防備にマイルールにて進めようとしますが、仲間のサポートで、その方法を知ることができます。体現が遅れているのをみて仲間がサポートを申し出てくれますが、あなたはそれを受け取りません。体現をスムースにするため、また、仲間との調和を保つためにも、サポートを快く受け取るようにしましょう。内なる高次の自己の男性性もそれを望んでいます。
この体現には、精神をリラックスさせ、心と魂と身体を一体にさせることが不可欠です。瞑想はその最たる方法でしょう。いま、あなたは、霊性のバランスがとれておらず、無防備な状態です。男女性のバランスをとるようにしましょう。
あなたの女性性は、もはや不要になった場所や物事にエネルギーを注いでいることに気づきながら、声を出して、男性性にそれを改めるリアクションをとるように促していません。また、女性性も、霊的に心地悪い状態があっても、気づかないふりをしています。それは霊的に無防備な状態です。内なる高次の女性性はこのことを認め、受け入れるように促しています。

【学び】
神我領域での神聖さの体現にあたって、私がまずとりくむことは、
女性性がより高い霊的学び、導きを受け入れる準備をすること。
そのためには、すでにあるサポート体制を活用すること。人の話を訊く(受け入れる)こと。マイルールに固執しないこと。
次に必要なのは、女性性がより高い学び、導きを受け入れるという準備を、男性性が実践に移し、さらに学び・導きが取り入れ易いようにすること。
そのためには、不要になったものを手放し、神聖さの体現のサポートの動を男性性がとること。
大事なのは、女性性が声に出して、男性性にはたらきかけること。女性性が自分をごまかさないこと。無防備でいないこと。

奉仕後のシェアで、Reからもらったアドバイスは、「周りが知っているから訊きや」。私の学びはこのメッセージに集約されているということ。

本日の愛の学び
「訊く(受容する)」。これを深めていくのだ!
マイルールは無用。エネルギーの無駄遣いをやめよう!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下、1月の宿題(Ryとの接触リーディング)

【上記リーディングから、Ryとの接触リーディング部分のみ抜粋】
内なる高次の自己の男性性は、あなたにいま必要なことを霊的必然に委ねなさい、と促してくれています。
内なる自己の男性性は、「内なる自己の女性性にやり方を尋ねなさい」と促してくれます。
内なる高次の自己の男性性も、神聖さの法則に従えばいいと促してくれています。
体現をスムースにするため、また、仲間との調和を保つためにも、サポートを快く受け取るようにしましょう。内なる高次の自己の男性性もそれを望んでいます。

【学び】
内なる高次の男性性の促しを訊くこと。その促しに従えば、スピリットの意志を訊くことができます。

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2008.01.27 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
今日、実家から「呼び出し」がかかった。
普段、ほとんど「干渉」することのない家族から、強い調子で、
「必ず来るように」ということだった。

先日、京都への引越しに際して、いま自分が考えているスピリチュアルな生き方について、時間をかけて説明をしたが、
その時は、みんな納得がいかないようだった。
前回は、「説得をしようと試みた」のが自分の不全であり、不必要なことであることに気がついた。
必要なのは、自分自身に明確な意思をコミットをすること。
そして、家族は、自分の内のある側面を移す「鏡」であることを忘れないこと。
何よりも軸を保つことが重要ということを改めて理解した。


前回日記→http://urappy.blog94.fc2.com/blog-entry-66.html


今日は、「ゆきクラス」で、「五つの心の傷」とそれぞれに対応する不全の反応についてのレッスンがあった。

ゆきブログ→http://mugenlove.seesaa.net/

学びどころは、反応のきっかけになった相手の行動の動機を、「恐れ」と捉えるか、「愛」と捉えるか。
動機が外へ(自我意識へ)と向かっているか、内へ(神我意識へ)と向かっているか。

この話を聞いているとき、ひとつの気づきがあった。
相手のリアクションに対して、自分の傷ついた心が不全の反応をするのは、
相手と自分とを別々の存在だと捉え、そこでエネルギーの収奪(相手にエネルギーを奪われたり、自分が奪ったり)があると考えているから、
考えているというより、その幻想を真実だと信じているから。

ワンネスであることを思い出せば、相手も自分であることを思い出せば、そこにはエネルギーの収奪なんて発生しないことがわかる。
相手の反応は自分の内のある側面であるだけ。
自分の内で、エネルギーの収奪はできない。

ワンネスという意識を保つこと。
これが軸を保つ、というポイントなのではないか…。

そんな風な考えがめぐって来た。


そんなことを考えていたら、実家でおおいに、それを体験する機会を引き寄せた。

本日は、家族からの「説得」の嵐だった(笑)。
わはは、きたなーって感じ。
前回、説明に行った時に、私のブログと、dozenのブログを提示しておいた。
それを見た姉が中心となって、「質問」「説得」を試みたという状況。

探求をする前から探求をし始めた頃の龍さんを知っている姉のダンナからも、いろんな「お話」があった(笑)。

母は心配のあまり、「夜も眠れない」と嘆いていた。


私は聞きながら、「軸軸軸~!」を心の中で唱え、軸を保つことに集中した。
一瞬だけ、ぐらっと軸が揺らいだ瞬間を知覚した。
正直、びっくりした。
と同時に、軸の重要性を再認識した。

家族の心配はもちろん、理解できる。
「安心させる愛」を波及できないでいる自分の霊的状況を受け入れた。
ラブスピースについての自分の理解と認識の甘さも確認した。
「なるほど。世間の人はこう見るか」と思う発見があった。

そして何よりのギフトは、今後歩む先に、自分が直面するであろうシーンだった。

特に心に残ったのが、次の言葉。
「あなたがやろうとしていることは、世間の人は認めていない。
マイノリティーであり、非常にリスクのあること」

いま読み進めている「神との対話」の中にもメッセージがあった(ディテールが違うかもしれませんが)。
マスターを目指すとき、そのような扱いを受けると。
迫害され、さげすまれ、人々はあなたを嘘つきだと言うだろう。と。

以前のイニシエで、3世代前の私に会った時にも彼女は言っていた。
「誰も認めない、誰も受け入れない、誰も協力しない」と。
私はあのとき、自分にコミットをした。
「私が認める、私が受け入れる、私が協力する」と。

大切なイニシエ→http://urappy.blog94.fc2.com/blog-date-200703.html

そのコミットを、瞬間に思い出した。

引越しにあたり、「あなたは、本気で、この道を歩みますか?」
内なる自分=スピリットから、改めてコミットの確認がなされていると感じた。

私は改めて、コミットをする。
「私が認める。私が受け入れる。私が協力をする」。
スピリットとの共同創造をする。
今後、どんなに厳しい状況を引き寄せても、そこから学び、その幻想を超えていく。

そして、培った愛を波及する。
私の家族にも波及したい。
心から幸せになってほしい。

今回、鏡となり、メッセンジャーとなり、私にメッセージをもたらしてくれたことに感謝します。
本当にありがとう。

私は愛をもって、愛の道を進みます。


この日記を書いているとき、テレビで「ペイ フォワード」をやっていた。
ある少年が思いついた「自分が受けた善意を3人の人に渡していく」というアイデアが広がっていく、というストーリーだ。

これは、まさに「ハチドリのひとしずく」の話。

ラストで、少年は亡くなってしまうのだが、
その少年が試みた善意の拡大、つまり、人間が持つ善意=内なる神の意識を目覚めさせる試み、に、共感をした人々が、
キャンドルを持って、彼の家に集まってくる。
その光の道が、永遠に続いていく、というシーン。

これが、非常に象徴的なメッセージだと思った。

だって、少年のアイデアは、最初、誰も「まとも」だとは思っていなかったのだから。

善意}=人間の愛=内なる神は決して死なない。
たとえ肉体がほろんでも、それは永遠に続いていく。
なぜなら、それこそが、私たちの本質=スピリット=神だから。

あたたかいメッセージをくれたスピリットに感謝。
ありがとう。















2007.11.24 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
イニシエって、本当にユニーク(唯一無二)!
一つとして、同じであった試しがない。
今回もまた、初めて尽くし。
こんなに楽しくて、無邪気なイニシエがあったなんて。
それもそのはず、このイニシエには、なんと、あの人が登場なのだ~。

※イニシエとは

6月3日(日曜日)に京都でムミヤ主催のスピカフェ&イニシエイベントが行われた。
この日の参加者はラブスピ京都カレッジのメンバーがムミヤ、もっち、てる、とむさん、沐隣、私。そしてスピカフェ初参加の紫乃ちゃん。そしてdozenの二人。

この日はスピカフェからして濃かった。
詳細はもっちブログを後日参照。
(もっち頼んだよ~)

16:30になり、イニシエタイムとなった。
イニシエを受けるのは4名。
部屋に入ると、センターのラグの上に蓮ちゃんを通してイニシエを行う高次が座る座椅子を含め、サークルを描くように、座布団が4つ置かれていた。
その中央にそれぞれが持ってきた花を置き、4人が円になって座り、瞑想を始める。
私はいつものように、センターを保つ作業をし、エネルギーを通し、
私の内なる大事な人たちとハグをする。
一人目は以前受けた「大切なイニシエ」で会わせてもらった、三世代前の私である少女、通称ララ、(通称は私が付けたニックネーム)
最初の頃13歳ぐらいの少女だったララは、時が経つにつれだんだん幼児化していっており、
現在は生後2カ月くらいのおくるみに包まれた赤ん坊の姿になっている。
二人目は、私のインチャである、通称・リンダ。
リンダもやはり徐々に姿を変えていっている。少女→幼児→木→と変遷を経て、現在はちょうちょのような羽の生えた妖精の姿。最近はいつもご機嫌にその辺をちょこちょこ飛んで、勝手に遊んでいてくれる。
私はその姿を見るととても安心し、幸せな気分になる。
そして、最後の一人はマイスピリットのウライナ。
ウライナはビジュアル化が難しく、まだこれといった姿が浮かばない。敢えて言えば、人型の白に近い透明のエネルギー体に近いかもしれない。
ともかく、3人とハグをして、共にこのイニシエを楽しむことをコミットする。
久しぶりだからか、いつにも増してとっても楽しみで、ワクワクする。

サークルの外に置かれた椅子では、蓮ちゃんの身体に本日のイニシエを執り行う高次が降りるべく、変容の真っ最中。
私は目を閉じていたが、「いつもより変容完了までの時間が長いなあ」と感じた。
そして、聞こえてくる声の感じが、「私の知っている高次とは違うかも」とも思った。
そう思うと勝手に目が開いた。蓮ちゃんの方を見ると、胸の辺りが突き上げられるように大きく反ったり戻ったりしている。
なぜか私は瞑想することも忘れ、その姿に釘付けになっていた。
ほどなく、完了をしたのか、蓮ちゃんが目を開けて椅子の背から身体を起こした。
龍さんが介助をして立ち上がろうとした瞬間、
「待って!」と高次が声を発した。
聖なる子どもだ! とすぐに思った。
聖なる子どもは、dozenのブログで読んだだけで、実際に会ったことはなかったが、
そこに書かれていて通り、とても無邪気で愛らしい物言いをする。
その瞬間、私の内がウワッと沸き立つのを感じた。ワクワクが倍増された感じ。
私はますます目が離せなくなって、じぃーっと、その姿を凝視している。
している、というのは、私の意志で、というより、私の内なる意志で、という感覚に近かった。
内側では、リンダがおおはしゃぎをしているのがわかる。
もう嬉しくて嬉しくしょうがないといった様子だ。
聖なる子どもはもう一度椅子にもたれて、変容の続きを始めた。
あとちょっとというタイミングで、聖なる子どもの目が開き、その目と私の目がばっちり合った。
「あっ! 見てるぅ~」と言って、聖なる子どもはにこ~っと笑った。
私の顔も自然とにこ~っと笑い、内なる声が「玉遊びしよ~」と呼びかけた。
その声に応えるかのように「後で遊ぼうね」と言って、聖なる子どもは再び目を閉じた。

なななな、なんだこれ~!?
私の顕在の意識が、ややついていけてないのをよそに、内なる声は大合唱を始めた。
「たっまあっそび、たっまあっそび、たっまあっそび~。 キャハハ~」
もう何がなんだかわからんが、玉遊びなんだ~、と思って、私もつられて無邪気な気持ちになっていく。

ほどなく、聖なる子どもは準備を終えて、私たちのサークルに加わった。
5人で輪になって手をつなぎ、イニシエが始まる。
聖なる子どもが私たちを優しい声で誘う。
「内なる神である自分を抱きしめてください。
愛し、愛されていることを思い出して。
すべてはひとつ。あなたは私であり、私はあなた。
このサークルの真ん中に光の柱を降ろします。」
(みたいなことだったと思う。詳細は多少違うかもしれません)

「今日は、玉遊びなんだ」。
そう思って、遊び方を考えた。
まず、内なる人たちと自分を光の玉にして一つにするイメージをした。
白く半透明の玉になって、空中に浮かぶ。ふわわ~ん。
次に白く半透明な光の柱に玉が近づいていくイメージ。
さらに、手を繋いでいるみんながドーナツ型で浮いているイメージ。
(みんなあぐらをかいてるその下は…何もないのよ。浮いてるのよ。ヨガの聖者みたいよ。)
もちろん、ドーナツの真ん中には光の柱が通っている。
柱は上にも下にも永遠に続いていて、その上でも下でもないところに私たちはいる。
そして、その柱の内側からは強いエネルギーが出ていて、みんなが全身でそれを受け取っている。とても心地がいい。
さらに、そのドーナツ全体を覆うような大きな光の玉の中に全員が入っているイメージ。
よし、これで準備OK。
いよいよ玉遊び。こっからが楽しい。
私たちは玉にのって、柱に沿って上にいったり下にいったり。
ちょうど、遊園地の乗り物みたいだ。
違うのは引力の影響を受けてないこと。まるで宇宙遊泳のように。
というか、UFOの動き(笑)。
あるいは、スローモーションのトランポリンで跳ねているような浮遊感。
衝撃はなく、ただただ楽しく、自由で、安心感があり、心地いい。
何度も何度も飽きずにそれを繰り返し、たっぷり遊んだ。

存分に遊んだ頃に、「終わりぃ。」という声が聞こえた。
まるでゲームが終わったような満足感。
すごろく(古い?)でみんな「上がり」の状態。
ゲームなら、「第一ステージ無事終了」みたいな(笑)。

だから、イニシエが終わったとき、自然と「ああ~楽しかった」という言葉が出てきた。
「楽しかったよねー」、「ねー」、「ねー」。
小さい頃、友達と遊び終えて、夕方帰る頃に、みんなで楽しかったよねー、の確認をしている気分。
内なる人たちとも相槌をうちあい、みんな大満足だったことを確認した。

最後に、全員が順々に聖なる子どもとハグをする。
感情が開放されて、泣いている人もいた。
私はただただ嬉しかった。
聖なる子どもにぎゅうっと抱きついて、嬉しい、楽しい、気持ちを伝えた。
ありがとう。会えてとても嬉しい。一緒に遊べて楽しかったよ。ありがとう。
聖なる子どもはハグをしながらエネルギーの調整をしてくれて、こう言葉をかけてくれた。「頑固はダメよぉ。あなたの素直さ、もっと思い出して。」

とっても嬉しかった。
日常と、このスピリチャルな生き方との溝を、いつ、どうやって埋めようか、
このところ、そんな心配や算段ばかりをしていた。
その気持ちに焦って、無理に予定表を書こうとしていた。
でも、そうじゃない。
もっと素直に、やりたいと思ったときにそれは自由にできるんだ、
そう思った。
内なるものが一つとなってそう思えるようになったら、具現は必ず引き寄せられる。
その時をいつに設定しようと、頭で考えるのはやめよう。
そのスピードを速めるのも緩めるのも内なる自分。
私は自由だ!

歓喜が身体の中に広がっていくようだった。
すごく楽しいのに、涙がこみ上げてきて、鼻がツンとなった。

ありがとう。
今日もまた、すべての存在に感謝します。
もう、一人ずつ書き並べる必要さえ感じない。
すべては一つ。
私はあなた、あなたは私。
神という存在。

聖なる子どもに会えたこと、本当に嬉しかった。
また会いたい。
また、遊ぼうね。
必ず。
2007.06.05 Tue l 未分類 l COM(4) TB(0) l top ▲
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